2013年3月7日木曜日

俺は死にたくないよぉ〜!

唐突ですが、最近僕が惚れてる男二人といえば松田優作会田誠なんです(笑)

(会田先生は3月31日迄六本木ヒルズの森ミュージアムでデッカい展覧会やってまっせ♪周りの人には「ムリ〜」って人もいるのですが、個人的には資産と展示スペースがあったら全作品買いたいくらい惚れてます!)

「ど、どっからその訳解らないコンビネーションが出てくるんだよっ!(汗)」

......そんな声が聞こえて来そうですが、そのような狼狽を顧みず今回は好きなだけ.....

「男が男を愛する時」- 偏愛について吠えさせて頂きます〜♪

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僕の中での松田優作の原風景は小学校の時「太陽にほえろ!」の再放送で観た「なんじゃこりぁ〜〜〜っ!」でお馴染みのジーパン刑事....

あと優作との個人的な関わりで言いますと、今から10年以上前の話になりますが「探偵物語 Remix~これにて一件落着~」というコンピレーションがリリースされた際に渋谷のWOMBで行われたパーティーにてDJをした位でした。何故僕が指名されたのかも今となっては永遠の謎ですが、この時はまだ「探偵物語」をよく知らなくて、工藤ちゃんのコスプレをした人を見ても「なんかルパンみたいな人が歩いてる」なんて思った程度....

そんな僕ですが、ここ数週間で自分の中の「優作」因子が超臨界状態に達してしまったのは遅ればせながら最近Huluで観始めたくだんの「探偵物語」....

「探偵物語」それは時代を先取りした者達への奔放なメッセージである....

1960年代、日本映画のヒーローといえば高倉健に代表される任侠ものの「ヤクザ」。しかし70年代に入ると「反社会的勢力を美化するのはいかがなものか」という"いかにも"な流れでテレビでは逆に体制讃歌的な刑事ドラマが氾濫。実際視聴率もとれていたので結果:

「警察権力は庶民の味方」

という誤った認識が一般社会に定着して今に至る、って感じだと思うのです。

松田優作にしても前述の「太陽にほえろ!」や「大都会 PART II」なんかで刑事役を演じ、そのステレオタイプの定着に図らずして片棒を担いでしまった感もなきにしもあらずですが、僕に言わせればそんな負の遺産(?)を返済してあまりある程、70年代テレビ番組の偏ったヒーロー像を本来のあるべき姿に戻した(?)のが工藤探偵事務所の私立探偵、工藤俊作!

「あのねぇ〜」

「探偵物語」の本放送は1979年から80年。現代より良くも悪くも製作姿勢がユルかったのでしょうか、同時期のドラマの例に漏れず回によって脚本や演出の完成度がまちまちではあります。正直、全27話の中で個人的に「素晴らしい!」と手放しで褒められる回は恐らく片手で数えても指が余る程度でございます......

しかし!そんな整合性に欠けたショボい脚本の回でさえも優作のアドリブの効いたノリのいい演技、手足の長い人には珍しい軽快な身のこなし、そして何よりもピッカピカのカリスマのお陰で何となく観れてしまうのが怖いです(笑)。

個人的に特にお勧めなのは水谷豊原田美枝子がゲスト出演している第5話「夜汽車で来たあいつ」。

若き日の松田優作と水谷豊の二人が写っているカット、特に酒場をさんざん梯子してどこかのクラブのステージで優作がギターを引きながら水谷豊が唱うシーンなんかはホント、眩いばかりの絵図です。

白いギターにシビレますね〜

この二人本当に上手、というかカンの鋭い役者さんなので台詞のテンポがよくて自然。会話のシーンなんてまるで終わってしまうのが勿体ないような良いミュージシャンのジャム・セッションを聴いているような感じで、いつまでも聞いていたい魅力が満載ですねぇ。この回における二人のパフォーマンスの素晴らしさたるや..........

........個人的にはダニエル・クレイグ主演の最新版ではなく1967年制作のオールスター・キャストの方の「007カジノロワイヤル」(この映画自体は「世紀の駄作」という評価と「微妙なお洒落映画」という評価に分かれておりますが...)でピーター・セラーズオーソン・ウェルズという英米天才俳優二人が演じたバカラのシーンに匹敵するものだと思います♪

"Bond, James Bond..."

またこの回は優作演じる工藤ちゃんが田舎から出て来るカタブツの水谷豊をトルコ風呂(今で言うソープランド)に連れて行って、馴染みのボイン(死語)のトルコ嬢(死語)に「たっぷりサービスしてあげて!」なんて言う描写があるのですが、そういった演出にも生々しい現実を慈愛の目で見る実に味わい深いものがあるのです。

ちょっとネタバレになりますが、水谷豊の妹を演じる原田美枝子(この人も本当に美しく、素晴らしいです!)が調査を進めていく内に実は売春をしてお金を稼いでいる事が発覚するのですが、工藤ちゃんはそれを全然咎めません。むしろ兄の豊の方に「お前の妹は田舎でモンシロチョウを追っかけていた妹とはもう違うんだ!」

「俺は職業差別はしない!」

別の回では女装してクラブで働くお友だちを探偵料一切取らずに助け、この人達を虐めて酷い事をする人達に鉄拳制裁を加えたり...

或は仲の良い情報屋がポン引きだったり...

要するに社会の一見奇麗な上澄のような部分に棲む人達が後指をさすような人々の味方、というかそういう人達こそをむしろ彼は彼なりに愛しているのでしょう。そして自由をこよなく愛するが故、警察権力をはじめ権力のようなものは基本的にバカにしているんですね〜。これぞ本当のヒーローの姿でしょう!

権力にたてつかないヒーローなんて絶対嘘!

そんな高貴な魂をルパン三世のような派手なスーツで包み、バイクがノーヘルOKだった古き良きプリ・バブル期東京をベスパで颯爽と走る姿....

っていうか「探偵さん」モテモテでしたね。ま、そりゃそうでしょう!

男でも濡れますわ(笑)

「探偵物語」の魅力を挙げていくときりがないのですが、もう一点だけ言うと先程のベスパや銀座英國屋仕立てのスーツに始まり、工藤探偵事務所のカッコいい建物火力最大のライター工藤ちゃんハットティオペペ等、アクセサリーやディテールにいちいち拘っているところ。「探偵物語」の撮影現場は実質松田優作が仕切っていたそうですが、CM出演時でさえ、そこの出て来るキャラクターの親の設定まで徹底的に詰めていたという逸話があるだけあってこの辺の拘りも多分に彼に負う所が多いのではないでしょうか........

(あ、これはあくまでも「僕は」なので全然反対して下さって結構なんですが....)映画やテレビドラマ、そして小説においても凝ったストーリーや上手に作られたプロットなんかも良いんですが、何よりも自分が本当に心を動かされるのは「キャラクター」なのです!

そういう意味では松田優作が拘り抜いて造型した「工藤ちゃん」というキャラクターは100点満点で101点です、僕的には。

工藤ちゃんフィギュア(笑)

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そんな名作の誉れ高き「探偵物語」から10年もしないうちにご存知の通り、人間・松田優作は冥土へと旅立たれます。

ガン治療を忍、ハリウッド映画「ブラックレイン」に文字通り命を賭けて出演、故竹中労氏が「俳優として戦死。立派な死に方だと思います」と言わしめた程(かくいう竹中労氏もこの時点で既に末期ガンに冒されておりました)壮絶な最後を遂げました。

死の二日前に見舞いにきた原田芳雄の前で泣きながら点滴を引きちぎった、というエピソードは有名ですが、そこにはジーパン刑事の最後の台詞「俺は死にたくないよぉ〜!」が妙にオーバーラップするんです....

殉職シーンは全て松田優作本人が台本を無視してアドリブで演じたとか...

臨済宗の名僧/怪僧、一休宗純は生き仏として一般大衆から天皇にまで崇められ、88歳で大往生を遂げたのですが、そんな悟りを開いている一休さんでさえ最後は「死にとうない」とこぼしていたとか....

リアル一休さん

自殺願望がある人ですら死は怖い筈。単に明日という日が繰り返される事の恐怖が死への恐怖を上回っているというだけの話だと思うのです。

つまり「死にたくない!」という願いはごく自然な事。

そんな死への恐怖感というものを紐解いてみますと、動物の生存本能が臨終の瞬間そのものを恐れさせているという他に、知的生命体であるが故の副産物でもある自分という「意識(= エゴ)」が宇宙から消滅する事を「想像」してしまう恐怖、そしてその認識から帰結するのが:

「容認し難い存在の虚無」

松田優作も晩年は禅に傾倒、座禅を組み「俳優は悟りに至る迄の過程」だと語っていたそうです。

優作のそれとは関係ないと思いますが、神や天国、或は来世を信じている方々はその辺一応すがれる何かがありますよね。

しかし死への恐怖に駆り立てられて死ぬ直前になって駆け込み需要的に何かにすがりつこうとする事を潔しとしない人間はどうして「死」、もっと正確に言えば「存在の虚無」と向き合えば良いのでしょう?

Le Mythe de Sisyphe

カミュが「シューシュポスの神話」で言っているように、神亡き世界において人間は明日への希望を糧に生きています。しかしその希望の明日というのは同時に我々を一日死へと近づけるものでもあります。

そして人間も含めた地球上のあらゆる生きとし生けるものの臨終というものは人生で最も荘厳な瞬間であると同時に大抵苦しみにのたうち回り惨たらしい苦痛を経て息が絶えるという現実の側面もあるのです。

つまり「生き甲斐」そのものが絶対的矛盾を内包しているのです。

故に人は「神」のような存在に帰依して存在の不条理の苦しみから癒されたい、と願うのかもしれません。

しかし先程も申し上げたようにそのような行為を潔しとしない場合は......

存在意義の「無益さ」「無駄さ」を認め、心の平安とともに受け入れるところから本当の「生きる」事がはじまる。

本来、正義も愛も希望もない砂漠から生まれる「反抗」「自由」「情熱」.......

神も天国もない世界で人間の存在を正当化するのはそんな純度の高いエネルギーに他ならないのではないか、というのが僕の実存主義の解釈なのですが.......


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........松田優作の分身である「探偵物語」の工藤ちゃんにはそんな「反抗」「自由」「情熱」の三拍子が揃っている、と思うのです。

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そんな訳で死に際に「俺は死にたくないよぉ〜!」って思いっきり泣き叫んでしまってもいいじゃないっすか!

それは裏返して言えば自分の人生に対する抑えきれない愛が溢れ出ているという事!

大好きだった人と別れなくてはならない時に流す涙の味とさして変わらないっすよ。

大事なのは今この無意味な空間において純度の高いエネルギーを「もってる」って事。

これさえ持ち続けられれば「立派な人」になれます、っていうか多分悟れるかも♪