2012年9月3日月曜日

爆笑文化比較論(2)日英における笑いの違い

かつて洋楽が日本市場でバリバリ売れていた頃「笑いは国境を越えないが音楽は国境を越える」なんて云われておりました。今や洋楽も全然売れなくなって「音楽すら国境を越えない」という時代になってしまいましたけどね〜。

それはさておき既に30年位前よりハリウッドのコメディ映画や洋物コメディ・テレビ番組は日本では成功しない(当然ながら例外も多々ありますが....)という一般認識はあったようです。

同じく日本のお笑いも西洋では基本なかなか笑いがとれないようです。事実、日本のテレビで「お笑い番組」を観た西洋人の方々からは大抵「ちょっと幼稚すぎる」といった冷たい反応が返ってきます。

この両者の温度差において最大の原因の一つが笑い自体が東西問わず近年スラップスティック系からトークを中心とするものへと移行していったという点が挙げられるでしょう。事実、往年のチャプリンの映画は勿論、近年でも言葉より動作で笑わすMr. Beanなんかは例外的に日本でも十分笑いをとれていましたから....

そこには当然「言語と文化の壁」というものがあるのですが、その訳しても訳しきれない「笑いのトリガー」には東西で一体どういった違いがあるのでしょう?

日本と英国、或は西洋全般の「笑い」の最大の相違点は西洋のお笑いには「ツッコミ」というものが(全く無い、という訳でもないですが)ほぼ皆無だというところだと思います。

我が国のお笑いにおけるツッコミの機能とは「ここが可笑しい/面白い!」という点を強調する為のものだと思うのですが、西洋の感覚では「そこは観ている者が脳内で処理するからむしろ面白い、第三者にいちいち指摘されるのは粋じゃない」というふうになるのでしょうか。

この辺の感覚は日本のテレビが執拗な迄にテロップを挿入するのと共通するのかな、とも思います。

因に西洋のバラエティやドキュメンタリーでは音声が聞きとりづらい、訛りが強すぎて一般視聴者には判りづらい、といった明確な理由がない限りまずテロップは入りません。

..........ここまで書いていくと「なんだコイツ、ただの西洋被れじゃないか?」なんて思われそうですが、日本のお笑いもガチで好きですよ - 古くはクレイジー・キャッツからドリフそして爆笑問題、高田純次、ラーメンズから江頭2:50に至る迄好きな人は枚挙に暇が無いです!


と、さりげなく保険を掛けた後で暴論を続けさせて頂きますね(笑)。

よく「英国的ユーモア」って言いますよね?その代表格として常に挙げられるのがかの「モンティ・パイソン」ですが、僕個人はあの番組が西洋のコメディ番組にしては珍しく日本でウケたのは笑いそのものよりインテリの香り漂うナンセンスな内容とテリー・ギリアムの芸術性高そうなコラージュ風アニメがなんというかたまたま「意味判らなければ判らない程カッコいい」みたいなガラスの感性の美大生シンドローム系の人達のハートにジャストミートしたんじゃないか、と。


でも誤解して欲しくないのですが、モラトリアム世代真っただ中において「意味判らなければ判らない程カッコいい=未知の世界の神格化」って知性と精神の成長に実は非常に大事な事だと思うんですね。別にモラトリアム世代じゃない自称「大人」或は「一人前の人間」であっても理解出来る事(=概知の世界)にしか興味が持てない、というのは脳が老化している前兆または老化が既に始まっていればそれを助長すると思います。

つまり脳の筋肉が硬化しない様にするには日々こういった若干の負荷を自分の脳にかけてやるのは大事だな、と。

日本でたまにモンティ・パイソンが大好き!という人から理由を聞くと「いい大人が無意味で超バカな事をしているから」みたいな反応が返ってきますが、ナンセンス=無意味にバカな事をする、というのは笑いに哲学や思想を基本持ち込まない日本のお笑いに馴れた人の目線で、実はモンティ・パイソンのコメディ・スケッチというのはどれも一見ナンセンスなようでその実かなり鋭い文化批評性を含んでいて「ただ理由もなく」バカな事をしている訳ではないのです。

先述のMr. Beanでさえ実はそういった部分はあったのですが、その辺は大抵「不謹慎過ぎて笑えない(訳:クレーム処理が面倒くさい)」というNHKさんの判断でハサミが入ってしまっていたみたいですね。

そういった意味で英国のユーモアとは遡ってオスカア・ワイルドの時代から今日のバンクシーに至る迄、「受け手の脳への負荷が大きい笑い」が主流、つまり言葉や状況をアクロバット的に瞬時に脳内で置き換えてみないと本当の笑いのツボが見えてこないものが多いのです。リアクション芸人に代表される「空気を正しく読んで期待通りの事をする」予定調和的笑いに対して、どこまで受け手の期待を裏切り、誰もが持つ「一般常識」、「共通意識」、「共有価値観」の破壊を試みられるか、という「予定不調和」的な笑いという言い方も(少なくとも僕が上質なコメディと考えるものにおいては - イギリスの笑いにも当然ピンからキリまでありますので.....)出来るかな、と。

言い換えると日本の笑いは「キャッチボール」、英国の笑いは「テニスのラリー」.....

日本人の感覚的には「そこまでややこしくしちゃったら折角の面白いネタも面白くなくなっちゃうよ」となるのでしょうか.....

これは恐らく日本人と英国人という人種が歩んで来た歴史、そして土地の風土とも非常に密接な繋がりがあると思うのです。そんな訳で次回はDNAレベルで両人種の特性を分析、比較してみます!

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